京都

失われた京都の美
かつて日本の中心だった京都は、生活、文化、歴史が脈動していた。伝統的な木造の町家が立ち並ぶ通りには、芸者衆のささやき声や寺の鐘の音が響き渡っていた。この街は、日本の豊かな歴史のタペストリーの生きた証であり、古代の伝統が現代世界とシームレスに融合していた。
しかし今、かつて賑やかだった街のはずれに立つと、見えるのは夕日の柔らかな光の下で揺らめくどこまでも続く水面だけだった。かつて文化と伝統の震源地であったこの街は、いまや水没し、上空から見えなくなっていた。京都水没のニュースは世界中に衝撃を与えた。活気に満ち溢れた都市が、どうして水中の遺物になってしまったのだろう?
春になると空をピンク色に染める桜や、太陽の光を反射して光と影のスペクタクルを作り出す黄金のパビリオンなど、この街の美しさについての物語を読んだことがあった。しかし、それは過ぎ去った時代の話である。今、街は沈黙し、その物語は数メートルの水中に閉じ込められている。
この水没した世界に飛び込む決断は簡単なものではなかった。予測不可能な海流から、水中では危険と隣り合わせの都市の残骸まで、危険はたくさんあった。しかし、時が止まったような世界を探検する魅力には抗えなかった。たとえ水面下からであったとしても、私は京都を見て、その本質を感じ、その栄光の日々を追体験したかったのだ。
ダイビングの道具を身につけると、さまざまな感情が交錯した。もちろん興奮もあったが、深い哀愁もあった。京都へのダイビングは、単なる街の探検ではなく、過去への旅であり、もうない世界とつながるチャンスだった。
深呼吸をして、私は飛び込んだ。冷たい水が私を包み込み、深く下るにつれて、上の世界の音は消えていった。残ったのは、私の呼吸のリズミカルな音と、穏やかな水の揺れだけだった。
最初に私を迎えてくれたのは、荘厳な清水寺だった。かつては街を背景にそびえ立っていたその木造建築は、今では水中に沈んでいた。何世紀もの間、希望と信仰の光であったこの寺院は、いまや静寂に包まれ、その神聖さは周囲の水に邪魔されることなく佇んでいた。
さらに泳いでいくと、祇園地区に出くわした。木造の町家は、狭いファサードと伝統的な建築様式で、水中ではほとんど非現実的に見えた。まるで時間が止まってしまったかのように。三味線の音色が聞こえてきそうだった。
しかし、水中でも堂々とそびえ立つ鳥居の姿に、私は息を呑んだ。神聖な神社への入り口を示していた鳥居は、いまや別世界への入り口のように見え、その赤い柱は水中の青と鮮やかなコントラストをなしていた。
街を泳ぎながら、私は複雑な感情に圧倒された。もちろん、残された美しさに対する畏敬の念もあった。しかし、もうない世界に対する深い喪失感もあった。豊かな歴史と文化遺産を持つ京都は、いまや思い出の街となり、その物語が再発見されるのを待っている。
この水没した街にはどんな物語があるのだろう?水面下にはどんな愛と信仰と希望の物語が眠っているのだろう?京都の失われた美を探求し、その物語をよみがえらせるために、私は旅に出たいと思った。


過去へのダイブ
ダイビングギアの重さと水中で感じる無重力感が対照的だった。前回のダイビングでは、京都の謎の表面をなぞったにすぎなかった。
器材を最終チェックし、私は深呼吸をして紺碧の深淵へと潜った。上空の世界はすぐに消え去り、代わりに水没した街の妖しい美しさが目に飛び込んできた。今日は水の透明度が高く、太陽の光が透き通って、万華鏡のような色彩が眼下に広がる古代の建造物の上で踊っていた。
街の奥へ進むにつれ、京都の輝かしい過去の名残が目の前に広がってきた。かつては僧侶や侍の足音が響いていた通りは、今は静まり返り、石畳は藻に覆われていた。かつて抹茶を飲みながらささやかな会話が交わされていた伝統的な茶室は、今は誰もおらず、木造の内装は水に浸されていた。
しかし、私を魅了したのは建造物だけではなかった。それぞれの建物や通りには語るべき物語があり、街を泳ぎながら、私はまるでタイムスリップして京都の黄金時代を追体験しているような気分になった。
私の旅は、かつて壮麗な京都御所が建っていた街の中心部へと向かった。その壮麗さは、水中でもまだ明らかだった。御所の華麗な門には複雑な彫刻が施され、私を中に誘った。広大な中庭や廊下を泳いでいると、勅命の響きや絹の着物のそよぎが聞こえてきそうだった。
しかし、京都の真髄を感じたのは宮殿の庭園だった。水没していても、庭園は見ごたえがあった。苔に覆われた石灯籠が小道に並び、睡蓮の間を鯉が優雅に泳いでいた。それは静謐なオアシスであり、この街が自然と美を愛していることの証だった。
しかし、その美しさの中に、京都を襲った悲劇を思い起こさせるものもあった。増水から逃れるために慌ただしく走り回った人々が残していった私物が、街のあちこちに散乱していた。子供のおもちゃ、家宝、手書きの手紙......ひとつひとつの物が、中断された人生、断ち切られた夢と希望の物語を語っていた。
探索を続けるうちに、私は自然と人間の微妙なバランスを常に思い知らされた。何世紀も続く伝統と自然への深い畏敬の念を持つ京都は、まさに神聖な要素に不意打ちを食らったのだ。京都の水没は、生命の無常と、私たちが生きる変わりゆく世界をまざまざと思い知らされた。
しかし、水没しても京都の精神は壊れることはなかった。豊かな歴史と文化遺産を持つこの街は、忘れ去られることを拒んでいた。京都の街を泳ぎながら、私はこの街だけでなく、この街を故郷と呼んできた世代との深いつながりを感じた。
重苦しい気持ちで、私は水面に向かって上り始めた。水面を突き破ると、街の物語が私の心に刻まれた。しかし、ひとつだけはっきりしたことがある。それは、京都の過去への旅はまだ始まったばかりだということだ。


沈んだ寺院
京都の水没寺院の魅力には抗いがたいものがあった。これらの神聖な建造物は、かつて京都の精神的な中心地であったが、今は水面下に隠されている。その献身、信仰、時代を超越した物語が私を誘い、私はその秘密を解き明かそうと躍起になっている自分に気がついた。
私の最初の目的地は、象徴的な金閣寺だった。金閣寺に近づくと、水面から金色の輝きが見え、この寺の不朽の美しさを物語っていた。金箔の外壁を持つ金閣寺は、水面が広がる中で光り輝く存在だった。周囲を囲む穏やかな池に映るその姿は、いまや水面を舞っている。
泳いで近づくと、パビリオンの細部がはっきりと見えた。複雑なデザイン、屋根の上に鎮座する鳳凰の像、そして内部の静謐な仏像は、水中の環境に邪魔されることなく、瞑想的な静寂の中にいるようだった。静寂は深く、私の潜水具から漏れる柔らかな泡だけがそれを遮っていた。
金閣寺から銀閣寺に向かった。銀閣寺の美しさは、黄金に輝くそれとは異なり、そのシンプルさにある。その控えめな優雅さで、銀閣寺は周囲の環境に溶け込んでいるように見えた。かつては丹念に描かれた砂の庭は、今では沈泥の下にそのまま放置され、その芸術性が再発見されるのを待っている。
しかし、水没した伏見稲荷大社は私の魂に忘れがたい足跡を残した。かつて神聖な稲荷山への道を示していた鳥居は、今では魅惑的な水中回廊を形成していた。黒く刻まれた鮮やかな赤い鳥居は、青緑色の海とは対照的で、非現実的な光景を作り出していた。門を泳ぎながら、私は深い畏敬の念を感じた。祝福を求める信者によって寄贈された門は、どれも人々の揺るぎない信仰の証だった。
門の中で、私は神社の守り神であるキツネの石像に出くわした。かつて巡礼者の道を照らしていた灯籠は、今は眠っており、その光は生物発光する海洋生物の柔らかな輝きに取って代わられている。
寺院を巡りながら、私は常に人生のはかなさを思い知らされた。何世紀もの祈り、祭り、儀式を目撃してきたこれらの建造物は、いまや沈黙し、その物語は水底に響いている。しかし、その精神は衰えていない。寺院の時を超越した美しさと神聖さは、京都の不朽の信仰と回復力の証である。
私は畏敬の念を抱き、寺院の物語を胸に刻みながら登り始めた。しかし、沈んだ寺院の記憶は永遠に私の心に残り、京都の不滅の精神と地下の神秘を思い起こさせるだろう。


芸者の響き
狭い路地と伝統的な木造の町家が並ぶ祇園は、常に京都の中心であった。祇園は芸者の街として知られ、芸術、文化、歴史が融合する場所だった。水没したこの街に潜る準備をしながら、私は潜水道具と歴史的な書物や科学的な道具を手に、この地区の秘密を解き明かそうとした。
京都の芸者は単なるエンターテイナーではなく、日本の伝統芸能の管理者だった。その歴史は600年代にまで遡り、さぶる子(給仕の女の子)の役割から、高度な技術を持つ訓練された芸術家へと進化した。水に浸かった通りを泳いでいると、三味線の柔らかい音、伝統的な歌のメロディ、踊りのリズムが聞こえてきそうだった。
専用の水中スキャナーを使って、私はこの地区のマッピングを始めた。ソナー技術を搭載したこの装置は、沈泥や藻の層の下に埋もれている建造物や遺物を視覚化することができた。あるスキャンでは、古代の茶屋が発見された。内部には伝統的な楽器のコレクションがあり、木工細工がそのまま残っていた。
祇園の別の場所では、芸者の楽屋らしきものを偶然見つけた。鮮やかな色は少し褪せているが、模様はまだ判別できる繊細な着物が、丁寧に掛けられていた。その近くには、ヘアピンや華麗な櫛がずらりと並び、芸者衆の手の込んだヘアスタイルをうかがわせた。私はサンプル採取キットを使って、着物から慎重に生地サンプルを取り出した。これらは後に分析され、その時代に使用されていた素材や染料を理解することで、古代京都の交易や職人技についての洞察を得ることになる。
しかし、物語を語るのは遺物だけではなかった。私は特殊な水中マイクを使って祇園の音を録音した。録音された音を分析すると、祇園の賑わいの名残である微妙な振動が浮かび上がってきた。水中に閉じ込められたこれらの音波は、聴覚的に過去を垣間見ることができるユニークなものだった。
祇園の科学と歴史を深く掘り下げるにつれ、私はこの地区が単なる娯楽の拠点ではないことに気づいた。そこは生きた博物館であり、京都の豊かな文化遺産の証だった。芸者たちは、その芸術性と献身によって、日本の伝統芸能を守り、世代を超えて受け継がれていく上で極めて重要な役割を果たしていた。
新たな感嘆の念を抱きながら、私は登り始めた。祇園に響く芸者、お囃子、踊りの世界は、私の魂に忘れがたい足跡を残した。水面を突き破ったとき、私は深い感謝の念に包まれた。祇園の美しさと歴史に対してだけでなく、より深いレベルで祇園とつながることを可能にしてくれた科学に対しても。


 浮かぶ鳥居
次の目的地は、何千もの鳥居で有名な伏見稲荷大社。しかし、このダイビングは単なる探検ではなく、挑戦だった。神社の地下には古代の遺物や秘密が隠された部屋があるという噂が流れていたのだ。興奮と恐れを抱きながら、私は真相の解明に乗り出した。
鳥居は、水中であっても目を見張るものがあった。その鮮やかな赤い色彩は、水中世界の淡い色彩の中で際立っており、魅惑的な通路を作り出していた。しかし、その中を泳いでいるうちに、私は奇妙なことに気づいた。門のひとつに、他の門にはない記号があったのだ。私の調査によると、この記号は隠された部屋の入り口を示すサインであることがわかった。
そのシンボルが示す道しるべに従って、私は迷路のようなゲートをくぐり抜けた。魚の群れが飛び回り、その素早い動きが渦を作り、私をコースから放り出そうとする。海中の流れはますます強くなり、私は訓練と本能に頼って進路を維持しなければならなかった。
何時間か経った頃、私はメイン・ゲートから離れた人里離れた場所に行き当たった。その中心には巨大な鳥居が立っており、柱には同じシンボルが刻まれていた。近づいてみると、ある仕掛けに気づいた。複雑な錠前で、開けるには特定の順番が必要なようだ。
京都の歴史とこの神社の意義についての知識をもとに、私は暗号を解読し始めた。仕掛けが回るたびに、歴史的な出来事、つまり京都の豊かな過去の年表に対応していた。何度か試した後、カチッと音がして、私の足元の地面が動いた。
鳥居はゆっくりと、薄暗い部屋に続く入り口を見せた。内部の壁は古代の経典や工芸品で飾られ、それぞれが京都の精神的な旅の物語を語っていた。部屋の中央には、伏見稲荷大社のご神体である金色の狐の像が置かれた台座があった。
しかし、私の発見も束の間だった。何世紀にもわたって密閉されていたこの部屋は、外部の水圧に反応し始めたのだ。亀裂が入り始め、水が急速に浸透し始めたのだ。入り口が徐々に閉ざされていく中、私は急いで考えなければならなかった。私はキツネの像と他のいくつかの工芸品をつかむと、崩壊する部屋を避けながら素早く脱出した。
深部から抜け出し、アドレナリンがまだ血管を駆け巡っているとき、私はこの冒険が過去へのダイビング以上のものであることに気づいた。それは時間との戦いであり、機知と勇気のテストだった。水没した京都の街には、隠された秘密と挑戦があり、その穏やかな外観の下に、発見されるのを待っている冒険の世界があることを再び証明した。


桜の思い出
伏見稲荷での発見の爽快感はまだ新鮮で、私は京都のもうひとつの象徴である桜に目を向けた。人生のはかなさを象徴するこの繊細な花は、毎年春になると京都をピンクと白の夢のようなキャンバスに変えていた。今は水没し、時の流れに消えてしまったが、この桜の痕跡は残っているのだろうか?
古地図や史料に導かれながら、私はかつて花見の名所だった円山公園に向かった。下るにつれて水は冷たくなり、周囲は柔らかなピンク色に染まり始めた。驚いたことに、花は咲いていないものの、桜の木が丸ごと水中に保存されていた。かつては花で重苦しかったその枝は、今は骸骨の手のように伸びて、流れに揺らいでいる。
しかし、自然の回復力には驚かされた。やせ細った木々の中に、伝統的な桜ではなく、ユニークな水中花を咲かせている木を見つけたのだ。この水中サクラは、珍しい遺伝子の突然変異による生物発光で光り、周囲に幽玄な輝きを放っていた。
この現象に興味を持った私は、分析のためにサンプルを集めた。携帯用の水中実験キットを使った最初のテストでは、これらの花が水中の環境に適応し、これまで植物学では知られていなかったプロセスで水のミネラルをエネルギーに変換していることがわかった。
公園内を歩いていると、過去の花見の思い出が蘇ってきた。桜の木の下でピクニックをする家族連れ、笑い声と音楽に満ちた空気、そして夜が更けるにつれて提灯の柔らかな光。私は特殊なホログラフィック・プロジェクターを使い、これらのシーンを現在の風景に重ねて再現した。過去と現在の並置は、心を揺さぶり、そして美しかった。
しかし、その美しさの中に難題が待ち受けていた。潮の流れの急激な変化で渦が発生し、公園の中に閉じ込められそうになったのだ。私は訓練を頼りに、桜の木をアンカーにして危険な海を進んだ。穏やかだった庭園は、私の限界を試す試練の迷路と化した。
試練を乗り越え、私はしばし考え込んだ。桜の花はその儚い美しさで、人生の無常を思い起こさせた。しかし、水中で逞しく輝く桜の花は、逆境における希望と適応を象徴していた。
光り輝く桜が見えなくなっていく中、私は複雑な気持ちでいっぱいになった。この冒険は、自然の静けさと挑戦のスリルが融合したジェットコースターのようなものだった。そして何よりも、水没してもなお人々を魅了し、感動させ続ける京都の中心への旅であった。


京都御所
京都御所はかつて日本の皇室の住まいであり、権力、優雅さ、建築の素晴らしさを象徴していた。広大な敷地、複雑な構造、緑豊かな庭園は、数々の歴史的出来事の舞台となった。水没して静寂に包まれたこの場所は、王族、儀式、古代の伝統の物語で私を手招きした。
夜が明けて水面が黄金色に染まると、私は宮殿の敷地に向かって下り始めた。時間と水によって摩耗していたとはいえ、壮大な入り口の門は荘厳なオーラを放ち、高くそびえ立っていた。泳いで通り抜けると、広大な宮殿の中庭が目に飛び込んできた。石造りの小道には、珊瑚や海洋生物が生息していた。
その象徴的な外観と掃き出しの屋根の先に、木造の大建築がそびえ立っていた。かつては皇帝たちが宮廷を開き、重要な決定を下した賑やかな部屋は、今は静寂に包まれていた。しかし、壮麗さは残っていた。華麗な彫刻、畳敷きの部屋、古代伝承の場面を描いた複雑な壁画は、驚くほどよく保存されていた。
しかし、私の探検は、本殿から隠された密室に出くわしたときから一転した。私の直感は、ここが普通の部屋ではないと告げていた。私は慎重に、そして正確に、部屋の鍵を開けることに成功した。古代の巻物、礼服、勅封は、京都の威厳ある歴史の断片である。
しかし、真の宝石は、宮殿の敷地内にある秘密の通路の詳細を記した複雑にデザインされた地図だった。伝説によると、隠された庭があり、歴代天皇が安らぎを求め、瞑想した聖域だという。その地図を頼りに、私はこのとらえどころのない楽園を探す旅に出た。
その旅に困難がなかったわけではない。侵入者から聖域を守るために隠された罠が待ち構えていた。狭い通路、突然の落下、パズルのような仕掛けは、私の機知と敏捷性を試した。しかし、決意と地図の導きによって、私はついに隠された庭に出た。
その光景は圧巻だった。水中でも庭園は圧巻だった。生物発光する藻に照らされた石灯籠、かつては静かな池で優雅に泳ぐ鯉のぼり、そしてその中心には、時が経っても輝きを失わず花を咲かせる見事な桜の木があった。
庭園の美しさに囲まれながら、私は過去の皇帝たちとの深いつながりを感じた。災難に見舞われることのないこの聖域は、京都の不朽の精神と遺産の証だった。
しかし、時間は限られていた。この部屋の安定性は不確かで、私は遺物、特に貴重な地図を確実に後世に残さなければならなかった。発見したものを慎重に記録し、保護した。皇居とその隠された聖域の記憶を胸に刻みながら、私は登り始めた。


鴨川の教訓
鴨川は京都にとって単なる水路ではなかった。鴨川は京都の活力源であり、発展する歴史の静かな証人であり、内省とつながりの場であった。その大部分は水没しているため、私はこの川の歴史的、科学的な秘密を明らかにしようと決心した。
歴史的な記録は、京都の発展における川の重要性を語っていた。古代の儀式、葵祭のような祭り、そして政治的な陰謀までもが、すべてこの川のほとりで繰り広げられた。川は天皇の栄枯盛衰を見、詩人たちはその穏やかな流れにインスピレーションを得て詩を詠んだ。
水中の地形をマッピングし分析するために設計された水中ドローンを装備し、私は探検を始めた。高度なセンサーを搭載したドローンは、川底の変化を検知し、興味を引く遺物や建造物の可能性を示唆する。
鴨川の水没区間を航行すると、ドローンは興味深いデータを送ってきた。川底に異常があり、古代の構造物、おそらく神社や儀式用の台座を示唆するパターンがあったのだ。ソナー画像と堆積物分析を組み合わせて、私は有望な場所を突き止めた。
川底に降りてみると、川の神に捧げられた古代の祠の名残を発見した。石の碑文には、神々を鎮めるための儀式が詳細に記されており、街の繁栄が約束されていた。その近くには、神道と仏教が融合したようなデザインの祭器があり、京都の神仏習合を反映していた。
しかし、川には歴史的な秘密以上のものがあった。水のサンプルを集めているうちに、これまで淡水の生息地では知られていなかった特異な微生物に気づいたのだ。これらの生物を分析したところ、水没した都市構造物からミネラルを代謝し、エネルギーに変換するユニークな能力を示していた。この発見は進化的な適応の可能性を示唆しており、自然の回復力と創意工夫の証である。
私が研究に没頭している間、鴨川の流れは予測不可能に変化した。鴨川の流れが刻々と変化することは歴史書にも記されていたが、私はそれを実際に体験していた。穏やかだった水は乱れ、渦を巻き、強い底流を作り出した。
ドローンのデータを頼りに、私は穏やかな水域を特定し、その水域を航行した。
深みから抜け出した私は、鴨川が教えてくれたことを思い返した。鴨川は歴史と科学の合流点であり、京都の豊かな過去と進化し続ける自然の神秘を思い出させてくれた。鴨川はその水の流れとともに、常に変化し、予測不可能でありながら、常に前進しているという時間の本質を教えてくれた。


水中世界のささやき
水没した京都の街は、その歴史的遺物や建築の素晴らしさだけでなく、探検されるのを待っている世界でもあった。この新しい水中環境に適応し、繁栄してきた活気に満ちた生態系である。
水中トーチの柔らかい光に導かれながら、私は水没した都市の郊外に向かった。どんな芸術家のパレットよりも鮮やかな色をしたサンゴ礁が、私の目の前に広がっていた。自然の順応性の証であるこれらのサンゴ礁は、京都の新しい水中生物の基盤となっていた。
かつては京都の庭園で珍重されていた鮮やかな鯉の群れが、今ではサンゴの間を自由に泳いでいる。彼らの優雅な動きはシンクロし、調和し、自由と適応のダンスだった。ネオンテトラ、エンゼルフィッシュ、そして華麗な模様と引っ込み思案な性格で知られる、とらえどころのないニホンウナギなどだ。
しかし、ユニークな生物発光クラゲを発見したときは、本当に心を奪われた。優雅に浮遊し、触手が柔らかな青い光を放ち、水中を照らしていたのだ。科学的な記録には、淡水域にこのような種が生息しているという記述はなく、発見の可能性を示していた。私はさらなる研究のために、専用の封じ込め装置を使って慎重に標本を採集した。
さらに深く潜っていくと、古代の石像や京都の寺院の名残が入り口を守っている水中洞窟に出くわした。洞窟の中に入ってみると、そこには時の流れを感じさせない世界が広がっていた。何千年もかけて形成された鍾乳石や石筍が、洞窟の壁に複雑な模様を作り出していた。そしてその洞窟の中には、光の少ない環境で進化したユニークな種類の盲目の洞窟魚やエビが生息していた。
とはいえ、水中世界に困難がないわけではなかった。私の器材の光に引き寄せられた捕食種が回り始めたのだ。特に好奇心旺盛なバラクーダは、鋭い歯を光らせながら調査に来た。回避行動と音波撃退装置を組み合わせて、私はこの生物を阻止し、潜在的な脅威をスリリングな出会いに変えることに成功した。
上昇を始めると、京都の水中世界に畏敬の念を覚えた。そこは歴史と自然が融合した領域であり、京都の遺産と深海の神秘が絡み合っていた。魚、珊瑚、洞窟は、回復力、適応力、そして生命の不朽の美しさの物語をささやいた。


再生と反省
太陽が最初の金色の光を放ち、水平線を琥珀色と薔薇色に染めながら、私は最後にもう一度、水没した京都の端にいることに気がついた。歴史と科学と冒険が融合したこの旅は、京都の街と水中世界の、誰も見たことのない層を明らかにし、変容をもたらした。
思い出を胸に、私はもう一度水没した清水寺を訪れることにした。木造のバルコニーとパノラマの景色を持つこの寺院は、かつて多くの人々の内省と安らぎの場所だった。今、水面下にあるこの寺は、また違った静けさを湛えている。
寺院の柱に囲まれながら、私はしばし瞑想にふけり、水の無重力感に包まれた。水中世界の柔らかな音、遠くから聞こえる海洋生物の鳴き声、水生植物の穏やかな揺れが、平和のシンフォニーを奏でていた。
目を閉じると、過去と現在のビジョンが交錯した。古都京都の賑やかな街並み、鴨川のほとりで遊ぶ子供たちの笑い声、祇園の芸者衆が奏でる柔らかなメロディー、そして今活気に満ちている水中世界、これらすべてが調和のとれた踊りを奏でていた。
しかし、こうした考察の中で、あることに気がついた。豊かな歴史と文化遺産を持つ京都は失われてはいなかった。ただ、時代と自然の気まぐれに順応して、変貌を遂げただけなのだ。京都の精神、その本質は衰えることなく、物語や遺物、そして人々の中に保存されていた。
瞑想から覚めたとき、私は深い感謝の念を覚えた。この旅は単なる探検ではなく、回復力、適応力、そして生命の永続的な美しさを教えてくれたのだ。
最後の上り坂を登り始めたとき、京都の街は過去も現在も、私の魂に忘れがたい足跡を残した。そして、背後で水が引いたとき、私は生まれ変わった都市の物語、人間と自然と歴史の時を超えたダンスの証しを携えていた。


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